津地方裁判所 昭和27年(ワ)22号・昭26年(ワ)255号 判決
昭二六(ワ)第二五五号原告・昭二七(ワ)第二二号被告 若林嵩
昭二七(ワ)第二二号被告 若林哲
昭二六(ワ)第二五五号被告・昭二七(ワ)第二二号原告 下井ヒサ子 外二名
一、主 文
昭和二十六年(ワ)第二五五号事件における原告若林嵩の被告下井ヒサ子、下井長、下井きみへに対する各請求はいずれもこれを棄却する。
昭和二十七年(ワ)第二二号事件における被告若林嵩は原告下井長に対し金一万六千円及びこれに対する昭和二十七年二月十四日以降右完済に至る迄年五分の割合による金員を支払うべし。
昭和二十七年(ワ)第二二号事件における原告下井長の被告若林嵩に対するその余の請求及び被告若林哲に対する請求並に原告下井きみへ、下井ヒサ子の被告若林嵩に対する請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は併合事件を通じこれを二分しその一を若林嵩の負担とし、その一を下井ヒサ子、下井長、下井きみへの負担とする。
二、事 実
一、当事者双方の請求の趣旨
昭和二十六年(ワ)第二五五号事件につき、原告(若林嵩)訴訟代理人は「被告(下井ヒサ子、同長、同きみへ)等は連帯して原告に対し金十万円を支払え、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決を、被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、昭和二十七年(ワ)第二二号事件につき、原告(下井ヒサ子、同長、同きみへ)等訴訟代理人は「被告若林嵩は原告下井長、同きみへに対し金十万円を、同下井ヒサ子に対し金十万円を、被告若林嵩、同若林哲は連帯して原告下井長に対し金四万一千円を、いずれも右各金員に対する昭和二十七年二月十四日以降右各完済に至る迄年五分の割合による金員を附加して支払え、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決を、被告等訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求めた。
二、請求原因と答弁事実の要旨
若林嵩、同哲両名訴訟代理人は、昭和二十六年(ワ)第二五五号事件の請求原因として若林嵩(第二五五号事件原告、第二二号事件被告、以下単に原告と呼ぶ)は昭和二十六年一月下旬頃訴外竹尾浅一の媒酌により下井長及び同きみへ(いずれも第二五五号事件被告第二二号事件原告、以下単に被告と呼ぶ)と養子縁組の予約をなすと共に被告長の長女ヒサ子(第二五五号事件被告、第二二号事件原告以下単に被告と呼ぶ)と婚約し同年三月二十二日その式を挙げ被告等方に同棲しヒサ子と事実上の夫婦生活を営むようになつた。ところが被告長及び同きみへの原告に対する態度に愛情がなく同年六月頃より頓に冷酷となり数回に亘り全く同居に堪え難い侮辱虐待を与えるに至つた。即ち(イ)同年六月上旬頃被告長が苗代に誤つて糯と粳米の種を取違えて蒔きながら原告が間違つて蒔いたのだからその種を拾えと命じ小鏝を投げつけて原告をして泥中から蒔種を拾い出せたうえこれを篩で撰り分けさせた。(ロ)同年六月頃被告長と共に畦草を刈りに出かけたところ同被告は、自分の田に隣接する他人の田の水戸を止めることは慣習上許されないにも拘らず原告をして敢えてこれをさせた。(ハ)その頃部落で腸チブスの予防注射が施行された際被告きみへが田仕事をしていた原告を呼び被告長と一緒に注射を済ませてくるようにいいながら被告長は自分一人で先きに済ませて帰り原告に対し何を愚図々々しているかと罵り、(ニ)その頃原告が被告きみへ及び同ヒサ子と共に畑の麦束ねを了えて帰宅したところ被告きみへは農事に不馴れな原告に対し仕事が遅いといつて罵り、(ホ)同年七月頃原告一人で雨中半日除草に働き家に帰つたところ在宅していた被告長及び同きみへは原告に対し半日かかつて僅か二まち(二区域の田のこと)だけの除草かといつて叱言をいい、(ヘ)被告等居村では他人の所有林において草を刈り採ることは禁じられているに拘らず同月十一日原告は被告長に命ぜられて他人の所有林に草刈りに出かけたが所有者に咎められたためその侭帰つたところ被告長は甲斐性なしといつて原告を罵り、(ト)被告長及び同きみへは日頃原告が農事を早く終れば丁寧にしない請負仕事をしてきたと小言をいい入念にすれば遅すぎるといつて叱り同きみへは更に小言をいうことは順送りだから当然のことだといつて冷笑し、(チ)被告長は世間評判の吝嗇家で近所附合いはせず他人の病気を喜び些細なことで人と争い、米麦の供出についても不誠実であつて原告をして被告等の養子として世間に顔出しし難い態度をとり、(リ)原告の兄徳市は嘗て居村より日傭四人を連れて被告家の田植を手伝つたことがあり、その際被告等の居村では日当一人につき四、五百円を支払うこととなつていたが被告長は日傭一人につき一日僅かに三百円を支払つたのみであつたため徳市においてその不足分を秘かに支払つたことがあるに拘らず同年七月十日徳市が田仕事をしていた被告長に会い農家の挨拶として稲の出来栄を賞めたところ、同被告は田の植え方が拙かつたといつて暗に徳市等の植え方を罵つた。以上のような状態で被告等はこと毎に原告に対し同居に堪えない行為に出るため原告は同年七月十一日頃止むを得ず実兄徳市方に身を寄せるに至つた。然るところ同月二十六日被告きみへが同長の了解を得て迎いにきたと称し原告方を訪れたので兄徳市及び叔父若林常次郎等に宥められて媒酌人である訴外浅生キヌに伴われて被告方に帰つたところ被告長は心良く迎えようともせず直ちに外出したため原告はその帰宅を待つて謝罪しようとしたが、同被告は夜中一時頃帰宅したまま原告を顧みずその侭就寝したので原告は更に右浅生キヌに依頼し同被告を起して共に詫びを述べたところ同被告は「お前のようなのろい奴は自分は迎える意思は更にない。きみへは一人で勝手に迎いに行つたのだ」といつて原告との前叙養子縁組及び婚姻の各予約を破棄すべき意思を表明し被告きみへ及び同ヒサ子もこれに同調する態度を採つた。そこで原告は翌二十七日止むなく再び実家に帰り兄哲及び前叙竹尾浅一を介し荷物の引取方等について交渉し挙式当日の宴会費合計金四万円のうちその十分の四を慣習により原告において負担することとして同日被告方より自己の荷物全部を引取つたのである。その後被告長及び同きみへは原告の兄徳市を通じ原告と被告ヒサ子を共に別居させることを条件として復縁を申出たことがあるが、被告等は間もなくその言をひるがえし敢えて結納金二万五千円の返還をも迫つたので原告は被告等を相手方として津家庭裁判所に家事調停の申立をしたが被告等において毫も誠意を示さなかつたためついに不調に終つたのである。元来被告きみへは同長の後妻であり同ヒサ子とは義理の母娘の間柄となるため被告長と結婚の際将来二人の間に子供が生まれたときはその子をして同被告等の世継ぎにすべき旨の約束があつて被告きみへはこれを盾に原告を養子とすることに不満を抱くようになり同長と共に原告が被告等方に復帰することを密かに拒否していたのであり、被告ヒサ子も同きみへ等の意思に従つて行動し原告との婚姻に熱意を示さなかつた結果前叙両予約はいずれも破談となつたのであつてその責任は全部被告等にあるものというべく、これによつて原告は精神上甚大な苦痛を蒙つたから被告等はこれを慰藉すべき義務がある。しかして原告は前途ある青年であるが、本件破談によつてその社会的信用を著しく失墜しその回復は全く困難な事情にあるところ被告長は田一町五反歩を所有する外相当の資産を有し居村においては中流以上の農家でありその他諸般の事情を斟酌するときは原告の右精神上の苦痛に対する慰藉料は金十一万六千円が相当であるが、被告等は前叙宴会費用の原告の負担金一万六千円を立替え支払つているからこれを控除すれば被告等は原告に対し金十万円の支払義務がある。よつて被告等に対し連帯して右金十万円の支払を求めるため本訴請求に及んだ次第であると陳述し、尚被告ヒサ子は同年八月末頃姙娠二箇月であつたが原告と相談の上医師の手術を受けその費用金千七百円を原告において支払つたことがあると附陳し、昭和二十七年(ワ)第二二号事件の答弁として被告の請求原因事実中原告の前叙主張に反する部分はすべてこれを争うと述べた。
被告等訴訟代理人は、昭和二十六年(ワ)第二五五号事件の答弁及び昭和二十七年(ワ)第二二号事件の請求原因として、昭和二十六年一月下旬頃訴外竹尾浅一の媒酌により原告と被告下井長及び同きみへと養子縁組の予約をなすと共に被告長の長女同ヒサ子と原告との間に婚約が成立し同年三月二十二日その式を挙げ爾来原告と被告ヒサ子が被告方に同棲し事実上の夫婦生活を営んでいたこと、原告はその後同年七月十一日頃実家である兄徳市方に帰つたので同月二十六日頃被告きみへが、右徳市方に原告を迎いに行き原告は同日一度被告方に戻つたが翌二十七日再び実家に帰つたこと、同日夜半原告の兄若林哲(昭和二十七年(ワ)第二二号事件被告)及び訴外竹尾浅一等が被告方を訪れ原告の荷物全部を持ち帰つたこと、同年八月頃被告長及び同きみへが媒酌人である訴外竹尾浅一方に到り原告の兄徳市等を通じ原告の復縁を申出たが解決をみるに至らず原告より被告等を相手取り調停の申出に及んだが、これも亦不調に終つたことはいずれも認める。しかし被告等が原告に対しその主張の如き侮辱を与えたり虐待したことはなく、寧ろ右破談はいずれも原告の恣意に基くものであつてその責任は全く原告にあるのである。抑々原告と被告等の縁談は、被告方は相当の農家であるため原告において農業に従事することを承諾の上成立したのであり、当時被告長より媒酌人である訴外竹尾浅一を介して原告の兄哲(昭和二十七年(ワ)第二二号事件被告)に対し結納金二万五千円及び酒肴料金二千円を交付し昭和二十六年三月二十二日その式を挙行し、爾来被告方で同棲してきたが原告は同年七月十一日頃突然一寸実家に行つてくると称し理由も告げずに実兄徳市方に赴き帰宅しないので被告等は前叙竹尾浅一を通じその理由を尋ねたところ百姓仕事は辛いから別れたいとのことであつた。しかし原告は縁談の当初より被告方において農業に従事することを充分承知している筈であるので被告きみへ及び同ヒサ子は同月二十六日右徳市方に原告を訪ね説得のうえ被告方に連れ帰つたところ原告は翌二十七日再び被告夫婦の留守中に同ヒサ子に対し実家に帰るといつて被告方を立出たが、同夜半頃に至り前叙哲、徳市訴外若林常治郎及び同竹尾浅一等と共に被告方に来り被告等に対し縁組並に婚約の解消を申入れ直ちに自分の荷物を持帰るから渡されたいと強硬に要求した。そこで被告等は原告及び右哲と話し合の結果、哲は曩に被告長より交付を受けた結納金二万五千円及び同被告が立替えて支払つた挙式当日の宴会費用の原告の負担額金一万六千円(全額の四割相当額)合計金四万一千円を同年七月三十日迄に責任を以つて返還することを確約し被告等は原告の荷物一切及びその保有米全部を原告に引渡したのである。しかしてその後も被告等より屡々円満復縁方を交渉したが原告はついにこれを肯じなかつたのみか前叙結納金及び立替金の返還を拒み剰え被告等を相手取り前叙の如く津家庭裁判所に婚姻養子縁組予約不履行による慰藉料請求の調停を申立てるに至つたのである。右の如く被告等は誠心誠意原告との前叙両予約の履行を希求したに拘らず、原告は何等正当な理由なくしてこれを破棄したのであるからその責任は寧ろ原告に存するものといわなければならない。しかして被告ヒサ子は被告長の長女として愛育せられ二十四歳の処女を以つて原告と結婚しその胤まで宿したのであるが、原告の右婚約破棄により将来の円満な婚姻生活に対する期待は全く蹂躙されたのみならず、原告との間に宿した胎児も昭和二十六年八月末頃医師の手術によつて敢えて姙娠中絶の止むなきに至つたのであり、その受けた心身の痛手は終生回復し難く又被告長同きみへ夫婦においても原告を実直な青年と見込み農業の可能なことを前提として養子縁組の予約をなし長女ヒサ子の夫として将来を託し円満な共同生活を期待していたのであるが、原告の右予約破棄によりその期待が覆えされ部落の人からも兎角の非難を受けヒサ子の悲歎を見るに堪え難い状況であつて、被告の蒙つた精神上の苦痛は甚大である。しかして被告長及び同きみへは居村において田一町余を有する真面目な百姓であつて部落においても篤農家と謳われる中流以上の生活を営んでおり、長女ヒサ子の妹は他家に嫁し三女を挙げ円満な家庭生活を営んでいる状況にある一方原告は特記すべき資産がないが兄哲(昭和二十七年(ワ)第二二号事件被告)は田一町一反五畝、畑三反五畝余、山林七反余、宅地三百五十二坪、建物九十六坪余の資産を有し中流以上の生活をしているのであつてこれ等の事実に前叙諸般の事情を斟酌するときは被告等の右精神上の苦痛に対する慰藉料は被告長及び同きみへに対しては金十万円、同ヒサ子に対しては金十万円を以つて相当とするから原告は被告等に対し右各金員の支払義務がある。又原告が被告長より受取つた前叙結納金二万五千円は右縁組及び婚姻の不成立によつて原告にその返還義務があり前叙宴会費用の原告の負担額金一万六千円も被告長において立替えて支払つたから原告は被告長にこれを返還すべき義務がある。しかして若林哲(昭和二十七年(ワ)第二二号事件被告)は右結納金及び宴会費用の立替金合計金四万一千円につき前叙の如く原告と連帯してこれを被告長に返還すべきことを約したのであるからその支払義務がある。よつて被告等は原告及び若林哲(昭和二十七年(ワ)第二二号事件被告)に対し右各金員の支払を求めると陳述した。
三、証拠<省略>
三、理 由
原告若林嵩は昭和二十六年一月下旬頃訴外竹尾浅一の媒酌により被告下井長、同きみへ夫婦の養子として縁組の予約をなすと共に被告長の長女同ヒサ子と婚約し同年三月二十二日その式を挙げ、爾来被告等方において同棲し被告長、同きみへと事実上の養親子関係を結び同ヒサ子と事実上の夫婦生活を営んでいたこと、原告は同年七月二十七日頃被告等方より自己の荷物一切を持去り実兄若林徳市方に帰つて以来被告等方に復帰しないことは当事者間に争がない。よつてまず原告と被告等の事実上の養親子関係乃至婚姻生活において果して原告主張の如き法律上の縁組及び婚姻をなすことができない重大な事由があつたかどうかについて考えて見るに、証人竹尾浅一、浅生キヌ、若林常次郎の各証言の一部及び原告若林嵩、被告下井長、下井きみへ、下井ヒサ子各本人の供述の一部(いずれも後叙措信しない部分を除く)に弁論の全趣旨を綜合すると、被告等方は田一町五反余を耕作する外相当の畑を所有し殊に被告長は居村では篤農家といわれ農事の外はこれといつて娯楽や慰安ももたず一途に仕事に励む働き者であるため農事に不馴れな原告の働きぶりを物足りなく感じ時には原告に対し小言や不満をもらすのみでなく被告きみへは同長の後妻であり、同ヒサ子は被告長とその先妻との間に生れた子であつてきみへとは義理の母娘の間柄であるためその間互に控え目の点があり、従つて被告きみへ及び同ヒサ子は兎角同長の態度に同調し同ヒサ子としては夫である原告の侶伴者としてよりも被告長夫婦の言に盲従しがちで原告に対する心遣りに欠くる点もあつたため、原告も自然被告等の態度を冷たく感じていたことを認めることができる。右認定に牴触する証人玉野正太郎、下井覚、諸角善兵衛の各証言部分及び被告下井長、下井きみへ、下井ヒサ子各本人の供述部分はたやすくこれを措信することができない。しかして原告若林嵩本人の供述によれば原告(当時二十六歳)は戦時中名古屋の工場に工員として勤務し戦後兄徳市方で暫らく農業の手伝いをしていたが、その経験浅く世事に不馴であるため被告等と同じように勤労に堪えることが苦痛であつたことが窺われるから被告等の原告に対する前示態度は思慮経験に乏しい原告にとつて多少冷淡に感じられたことは無理からぬことである。しかし内縁の養親子関係にあつてもその間互に協力扶助の義務があること勿論であり、この義務は永い将来に亘つて継続されるべきものであるから家庭生活に起り得る多少の風波は互にこれを受忍すべきであるのみならず養親がその養子となる者に対しその非を諭し世上の諸事につき適当な指示や注意を与えて然るべきは当然であり、被告長の原告に対する前示態度もその範囲を著しく逸脱したものと解し難く、又被告きみへ及び同ヒサ子が被告長の態度に同調的であつて原告に対し進んで愛情を示さなかつたこともまだ封建的である農村の子女としては殊に前叙の身分関係から見て無理からぬことであつて敢えてこれを非難するに当らない。原告は被告等が前示事実の外原告に対しその主張の如き暴行、侮辱を加え同居に堪え難い行動をとつた旨主張するがこの点に関する証人竹尾浅一、浅生キヌ、若林常次郎、若林徳市及び原告若林嵩本人の各供述部分(各証人の証言部分はいずれも伝聞にすぎない。)はにわかに措信し難く他にこれを認めるに足る資料がない。尤も証人若林徳市、原告若林嵩本人及び被告下井長本人の各供述の一部によれば、(イ)被告長は昭和二十六年六月上旬頃自分で過つて苗代に糯と粳米の種を取違えて蒔きそれを原告に拾い出させ、(ロ)その頃部落で腸チブスの予防注射が施行された際被告長は原告のみを残し自分が先きに済ませて帰り原告に早く行かないと時間に遅れるといつて注意し、(ハ)同年七月上旬頃被告長は原告をして他人の山林で馬草刈をさせたため原告はその所有者に発見され咎められ、(ニ)原告の兄徳市は曩に被告方の田植の手伝いをしたことがあり、その後田仕事をしていた被告等に出会い挨拶として稲の出来栄を賞めたところ同被告は田の植方が拙かつたのであまり出来が良くなかつたといつたことがあることを認めることができるが、しかし証人下井覚、諸角善兵衛及び被告下井長本人の各供述によれば、被告長が苗代に種を間違つて蒔いたが当時他に余分の種がなかつたので止むを得ず家族皆でそれを拾い出して撰り分けたのであつて原告一人に敢えてこれをさせた訳ではなく、又被告居村にあつては他人の山林においても互に親しい間柄であるときは馬草を刈る程度のことは常に行われていて別に紛議を生じたことがないので被告長は場所を指示せず唯漫然と原告に前叙草刈をさせたのであつて特に悪意があつたのではないことが明かであり、腸チブスの予防注射の際における被告長の態度及び原告の兄徳市と被告長との応答も家庭生活のうえにおいてはよくありがちなことであつて特に他に悪意のあつたことが認められない限りこれを侮辱的言辞と見ることは許されない。ところで原告は昭和二十六年七月十一日頃一旦被告等方を立去り兄徳市方に帰つたが同月二十六日被告きみへに迎えられて被告等方に復帰したこと、次いで翌二十七日再び原告は被告ヒサ子に対し実家に行つてくるといつて被告等方を立ち出でたが同夜半に至り兄徳市、同哲等と共に被告方を訪れ自己の荷物一切を持帰つたこと、その際原告と被告等の外に原告兄徳市、哲、若林徳治郎及び被告等の親戚二、三のものが集り挙式当日の宴会費及び曩に授受された結納金と原告の荷物の引渡しについて交渉が行われたことは当事者間に争がなく、証人玉野正太郎の証言の一部及び被告下井長、下井きみへ、下井ヒサ子各本人の供述の一部によれば、原告が被告方から荷物を引き取るに当り被告等においてもこれを手伝つて自動車に積み込み且原告に割当られたその保有米一俵をも倉庫より取り出して原告に渡したことが明かであり、この事実に前段認定の各事実及び証人玉野正太郎、下井正毅の各証言部分を綜合すると、原告と被告等の間において前示両内縁関係を継続し法律上の縁組乃至婚姻をなすことができない重大な事由があつたのではなく、原告としては自己の思慮経験に乏しき点を省みず被告長の性格や態度に理解をもたず被告長も養親として温情に欠くる点があつたため二人の間に敬愛の念を喪うに至り、ひいては原告と被告きみへ及び同ヒサ子との間においてもその愛情に溝が生じついに双方共将来を期待することができなくなつたので昭和二十六年七月二十七日原告より被告等に対し前叙両予約の解消を申入れ双方合意の上両予約を解除し、原告は結婚披露宴の費用のうち被告長においで立替えた原告の負担額金一万六千円を同月三十一日迄に被告方に持参して支払うべく(宴会費用の支払の点については当事者間に争がない)原告の受取つた結納金二万五千円の返還については一般の例を調査の上善処することとして一切を解決し原告は同日自己の荷物全部の引渡を受けたことを認めることができる。証人玉野正太郎、下井覚、黒川久男及び被告下井長、下井きみへ、下井ヒサ子本人の各供述中右認定に牴触する部分はこれを信用しない。そうすると被告等においてそれぞれ本件縁組或は婚姻の各予約上の義務不履行のあつたことを前提とする原告の本訴請求は爾余の点についての判断をまつまでもなく失当であつてその排斥を免がれることができない。
そこで被告等の原告及び若林哲(昭和二十七年(ワ)第二二号事件被告)に対する請求について考えて見るに、被告等は本件各予約はいずれも原告により不当に破棄された旨主張するが右予約はいずれも原告或は被告等によつて不当に破棄されたものではなく前叙の如き事情により双方合意の上解除しこれにより生ずる損害一切は互に請求しないこととして解決したことは前段認定のとおりであるから原告は被告等に対し慰藉料を支払うべき義務がなく、従つて被告等の原告に対するこの点に関する請求は爾余の点について判断するまでもなく失当といわなければならない。次に結納金の返還について考えて見るに、原告が本件予約の成立に当り被告長より結納金として金二万五千円を受取つたことは原告の自認するところであるが、原告は被告長との間において右結納金につきこれを返還すべきか否かについては一般の例によるべく約したのであつて被告長主張の如く原告と哲が連帯して返還することまでも約したものではないことは先きに認定したところにより明かであり、結納は婚姻又は縁組の成立を予想して当事者双方より交互に又はその一方より他方に対し授受される一種の贈与であつて他日婚姻又は縁組が不成立に終つたときはこれを受けたものは当然その目的物を相手方に返還すべき義務を有するが特別の事情なき限り事実上の婚姻又は縁組が成立した以上結納はその目的を達したのであるから後日法律上の婚姻又は縁組が成立するに至らずして止んでもこれがためその受けた結納を返還する義務が生じないものと解すべく、原告と被告等の内縁関係はいずれも相当の期間継続されたのであるから(このことは前段認定の事実に徴し明かである)原告及び若林哲には右結納金を返還すべき義務がないものといわなければならない。次に挙式当日の宴会費用金四万円のうちその四割に相当する金一万六千円は原告において負担すべきところ被告長がこれを立替え支払つたこと、原告は右金一万六千円を昭和二十六年七月末日迄に被告方に持参して支払うべく約したことは先きに認定したところであるから、原告は被告長に対し右金一万六千円を支払うべき義務あること勿論であるが、若林哲が原告と共に右債務につき連帯責任を負担したとの点についてはたやすく措信し難い証人玉野正太郎の証言部分を除き他にこれを認めるに足る証拠がないから若林哲に対する被告長の請求は理由がない。
よつて被告長の原告に対する本訴請求のうち金一万六千円及びこれに対する訴状送達の翌日であること本件記録に徴し明かである。昭和二十七年二月十四日以降右支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲においてこれを正当として認容し爾余の点及び同被告の若林哲に対する請求並に原告、被告下井ヒサ子、下井きみへの各請求はいずれも失当として棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条第九十二条第九十三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 木戸和喜雄 中瀬古信由 家村繁治)